【 サハリン事情 】 その3


港湾会社の社員食堂はその昔は神社(サハリン神社?)だったという。
階段は当時のままである。社殿が食堂に変わっただけである。

「ここは日本だったのか〜!」というイメージが強く沸いてきた。社員食堂は港湾関係者のVIP用ものである。

メニューはバイキング形式になっている。
ロシア人向きの「パン、バター、肉類、魚類、ジャガイモ、トマト」などのほかに日本的な料理が結構あるのには驚いた。

「こんぶ、納豆、にら、たらの芽、わらび、かぶ、味噌汁」など日本人の食べる食品が
ロシア食の中にうまく融合しているのには驚いた。

パン食とたらの芽を食べてうまいのだろうか?またご飯にキャビアをのせて食べるひともいるかもしれない。
戦時中、日本人が教えた文化なのだろう。 

食堂で働く女性たちの目は青く透き通っていて美しい。
ガラス玉を入れているように見えた。顔の色は白く、髪の毛も金髪でほんとに、人形みたいだった。
 

港湾会社の食堂

食堂の前で(階段を上りきる) 

私たちと「同類?」の電気工事士や技術者たちのレベルは高く、
北国の寒さに耐えて働くので、がまん強い人ばかりにみえた。

今はまだ序の口(外気温5度程度)なのだろう。12月や1月になるとー20度にもなるという。
 

トランス内の工事


技術講習会(技術者たちと)


最後の日に、街の中心部へ土産を買いに出かけた。
ロシアの音楽に興味があったのでCDを買った。1枚400円程度だった。

他の物品を比較すると、物価は日本の約1/5程度だろうか。

港湾の町でも繁華街にはDISCOや歓楽街があった。仕事が一杯で遊ぶ暇などとてもなかったのが残念。


ロシアのCD(1枚約400円)


日本が占領したここには間宮記念館がある。

江戸時代、間宮林蔵は北部東方から一隻の手こぎのボートでユーラシア大陸に着いた。

サハリンが半島ではないことを発見した。これが有名な「間宮海峡」なのだ。

距離は7kmくらいだったという。最南端の岬から晴れた日には、宗谷岬が見えるという。

【kuma3応援情報】

沖縄よりずっと身近な「元日本領土?」に思えた。

絵葉書でみると娯楽施設のたいていの物がある。

特にスキー場やスケート場などウインタースポーツ施設は素晴らしい。



サハリン土産(CD、絵葉書、地図)


今まで、南方の多くの国に出張したが、東南アジアとは全く趣が異なる国である。

アフリカや中近東とも違う。ある意味では、沖縄よりも日本に近い!たらの芽やわらびがあるのにはおどろいた。

サハリンの未来は明るい。エネルギーがあるので希望に満ちている。将来きっとこの地は観光客で一杯になるだろう。

静かに栄えているサハリンもう一度きてみたいところである


以上 040303

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