橘流寄席文字 と 橘右近


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寄席文字の源流は江戸末期にできた「ビラ字」といい、当時の寄席の繁盛とともに広まった書体で、

当初は提灯の文字と勘亭流を併せたようなものでした。

このビラ(びら・美羅)の名手二代目「ビラ辰」の流れが震災、戦災を経て消えそうになったものを故・橘右近が復興したものです。

不完全であったビラ字の書体にも工夫を加えて、伝統を生かしながら現代に通じるものに変えて『寄席文字』と名付けました。

昭和四十年に、故・八代目桂文楽師匠のすすめによって、家元となり寄席文字の普及と後継者の育成に力を注ぎました。

初期の弟子、左近、右京に続き、自分も勉強だからと名付けた教室『寄席文字勉強会』から

右一郎、右之吉、とし子、右之輔、右橘、右太治、右龍、右樂、右女次、右朝、右佐喜、右雀、右喜与、右門、紅樂 


総勢十七名が現在名取として、橘の文字を許されたことに誇りを持って活動しております。


橘右近は元は噺家でございました。

半ば蔑称(べっしょう)となっていたビラ字を寄席文字として確立し専業とするまでの苦労を背景に、

その教えの中には、文字の技術だけでなく、芸界のしきたりや礼儀、心配りなど、さまざまなものがございます。

長幼の序を守り、筋を通し、芸界の事を想うという明治生まれの一徹者の姿勢は一門各々の中に深くしみ渡っております。

作品の構成などに人の守り育てたものを使うには礼を尽くし、それにはずれた者には破門という厳しい結果があるものも、

伝統と信義を重んじる流ahとして当然のことといえましょう。

他界の前年、のちのちのことを深く考え、家元は一代限り、その役は 『 寄席文字橘会 』 と名付けた一門の集まりに委譲し、

家元の印もそこに納めるという宣言を致しました。

一門一丸となって、寄席文字を守り育てよという心と一同深く肝に銘じております。


また、寄席と千社札の膨大なコレクションは。ご遺族の椙田茂子さんが管理運営されています。

(資料提供:橘右橘)

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