【 手賀沼の悲しい物語 】
H17.04.02

手賀沼をウォーキングするとき、目標はかつての町のは外れにある「手賀沼フィッシングセンター」である。
折り返し地点でもある。
店のオバサンともすっかり、顔なじみ。そこに、立派な観音様がある。その謂れは・・・


手賀沼では、
明治初期より250人が遭難にあっているそうです。

昭和17年9月東京行商人6人の殉難。
昭和19年11月教職員16人と男女2児を合わせて18人の大遭難事故など、
物故者を供養するために、この【手賀沼聖観世音菩薩】が建立されたそうです。

合掌



当時の新聞

 


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