【 天龍峡 】
H18.5.3

撮影日
H18.4.13 15:000
場所
飯田市 川路龍江
樹種
ミツバツツジ
推定樹齢
いろいろ


6:05



忙しい商売の合間をぬって、天龍峡に連れて行ってもらったことを想い出す。

ヤッパリ、てんりゅうきょうは「天<竜>峡」ではなくて「天<龍>峡」の方が好きだ。重厚感がある。

市丸の「天龍下れば」よりも二三吉の「龍峡小唄」(MIDI)の方がなぜか好きだ。

「・・・すてきなベッピンさんニャ、ワシャほれた!♪」 ここがいい。盆踊りでよく唄ったものだ。

今の鉄骨の姑射(こや)橋よりも、昔のセメントの姑射橋が好きだ。<坂戸橋>のような。どうして壊しちゃったんだ。

天龍下りも 弁天港よりも市田港の方が好きだ。乗り<で>がある。1988(昭和63)年3月をもって市田港発の定期航路は廃止されらしい

というような訳で、 天龍峡 へ行ってみた。サクラは余りなく、ツツジが綺麗だった。


kuma3kuma3@genkigenki

いつになっても 天竜峡はいいですね。

 改めまして ご説明    (暁洲舎HPより転載させていただきました)
天竜下れば 〜天竜下れば しぶきに濡れて 咲いたさつきに 咲いたさつきに 虹の橋♪〜
長野飯田市の有志が、名勝・天竜峡を宣伝するために、
  長田幹彦に作詞、中 山晋平(1887-1952)に作曲を依頼。
昭和9(1934)年、長野県松本市出身の鶯芸 者・市丸(1906-)が唄って大ヒット、一世を風靡した。
龍峡小唄

〜天竜流れて 稲穂は黄金 繭は白金 お国自慢の 天竜峡♪〜
白鳥省吾作詞、中山晋平(1887-1952)作曲。
昭和3(1928)年、葭町二三吉(よ しちょうふみきち)がレコーディング。
長野県飯田市郊外の時又から天竜川を 下る数10kmの天竜峡の景観を唄ったもの。
葭町二三吉(1897-1976)は、東京 浅草の出身。昭和8年、藤本 二三吉に改名。

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